(Ecclesiastes 7:1-2) A name is better than good oil, and the day of death than the day of one’s being born. Better is it to go to the house of mourning than to go to the banquet house, because that is the end of all mankind; and the one alive should take [it] to his heart.
マイケル・ジャクソンが死去してから一週間、僕のクラスではずっと彼についての話題を扱ってきた。
僕が興味深いと思ったのは、メディアの(そして多分僕ら自身の中でも、)生きていた頃と死後の彼の受け止め方、”マイケル・ジャクソン像”とでも言うべきものの変化だ。
全盛期の頃はいざしらず、ここ2,3年の彼のイメージというのは、「病的なエキセントリックさ」があまりにもフィーチャーされてきたと思う。壊れた人形のようなマイケルの姿や言動に世界は(そして多分僕らも)悪趣味な興味を感じ、話題にしてきた。それは決して彼の才能やメッセージに共鳴しているということにはならず、それを裏付けるように、彼の作品やステージを「買う」という行為に僕らの興味のベクトルは向かなかった。彼はあくまでタブロイド誌の住人であり、昔の夏祭りにやって来た見世物小屋の中にいた奇人の現代版に過ぎなかった。
しかしながら、いざマイケルが死んで、世界が彼を永遠に失ってみると、人々はこぞって彼の作品を買うようになり、彼のメッセージに耳を傾け始めた。彼を不世出の天才と讃え、システムに翻弄されたナイーヴなヒーローと扱いだした。
これは、必ずしも死人を辱めることに対するマスコミの気後れの結果ではないと思う。死人を尊重するためだけにamazonのランキングを独占する程に彼のCDを購入する人がいるとは考えづらい。おそらく、これがマイケル・ジャクソンが正当に受けるに値する世界の評価であり、すなわち世界は、彼への正当な評価を、彼が死ぬときまで大事にとっておいたという訳だ。
アルバム「Dangerous」での彼の詞の世界はそれまでとは180度と言っていいほど変化している。性や暴力を売り物にする前2作に対し、政治的なメッセージと受け取られかねない程直截的に世界平和を訴えている。ただ、僕はこれをマイケルの政治的メッセージと見なせない。
音楽が伝えるメッセージは多様化している。個人的な愛や怒り、あるいは政治がこれほどに主張するようになったのは、人類史から見れば、比較的最近のことである。音楽のもっとも原始的な形態は、話し声が届くことのない天上の存在に対する「祈り」であり、それが形式化し「儀式」となっていった。
"Heal the world", "Jam", "Black or White", これらの曲は、マイケルからの人類へのメッセージとしてニュースで流されている。しかし、歌詞を調べてみると、マイケルは自分自身を神と人類の仲介(あるいはシャーマン)とみなしていた(あるいは曲中劇のように演じていた)のではないか。
”I just want you to recognize me
I am the temple
You can't hurt me
I found peace within myself"
(Jam)
"Now I believe in miracles
And a miracle
has happened tonight"
(Black or White)
"Why do we keep strangling life
wound this earth crucify its soul
though it's plain to see this world is heavenly
Be God's glow"
(Heal the world)
冒頭の英文は、聖書の一説で、「死ぬ日は生まれる日に勝る」という賢王ソロモンの言葉だ。なぜなら「それが全ての人の終わりだからである」とソロモンは続けている。彼の人生は是か非か、彼は幸福であったか、彼は自分の望んだ神からの寵愛を得ることができたのか。
僕らに与えられた判断材料はあまりにも少ない。
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