2009年7月9日木曜日

ロゴが決まったりなんかして

生徒さんの一人、カゲロウ クリエイティブコーディネイツ のアヤト君がスクールのロゴを作って来てくれた。

僕としては「うっちーに英語習ってるんだよね」のノリで十分満足だったのだが、こういったものが出来ると、確かに「仕事」という気がする。よく営業マンなんかが締めると気持ちが変わる「パワータイ」(power tie)を持っているというが、そういう気持ちに似ているのかも知れない。もっとも、僕の場合は「漫画家になるために、まずベレー帽を買う」という感覚に近いか。

で、いくつか候補を出してくれたのが以下。あなたはどれがお好みですか?




















お気づきのように、僕は一番下を我が校のロゴに決めたわけだが、正直、英会話教室のロゴでこんなエッジの立ったデザインにするメリットはマーケティングの観点からすると、実は少ない。

ファッションブランドやミュージシャン名のように凝った名前にしたり、哲学のようなものを前面に押し出すのは、万人を取り込みたいスクールのような業種には不向きなのだ。(もし、向かいのローソンの名前が、「コムデギャルソンプリュスノワール」だったら、そこでおにぎりを買いたいとは思わないだろう。)

でも、このロゴには他の7つにはないメッセージを僕は感じた。(あとでアヤト君に確認したところ、そういう意図であったということなので、僕には意外とデザインを見る目があるのかも知れない。)ので、そういった計算を度外視することにしたのだ。

「多様性の中の調和」。

この世は「異」に満ちている。人種、性別、文化、国籍から、年齢、世代、果てはテイストの好みに至るまで、多種多様の塊が世界であり、それがすばらしい。「カオス」の非線方程式が積もり積もると美しい配列を生み出すように、それぞれがもつ独自性が調和したときに、そうやって出来上がる世界は、すばらしいに違いないと思う。僕は人生に座右の銘のようなものを決めてはいないが、今述べたことは、僕が歳をとるにつれ、ほぼ信念と言っていい程確固としたものとなっている。

とどのつまり、外国語を学ぶということは、自分と違う視点でモノを見ようとする行為に他ならない。言語を二つ以上話せる人なら同意してくれると思うが、外国語に習熟してくると、今まで「これが自分」と思っていたものがどんどん壊されていく感覚を伴うことがある。今まで日本語で発想していたようにはもう発想自体が出来なくなる。それを「視野が広がる」と捕らえることもできるが、時にそれは、アイデンティティを危うくするほどのショックとなりうる。

でもやはり、自分と違う事、モノ、人に影響され続け、自分が流転していくことを楽しむ、それが人生の悦楽なのだと思うし、だからこそ、外国語を教えることを生業に選んだのだと思う。

もしHPのロゴに何かを感じることがあれば、一応、こんな意味がこもっているので、ちょっと気にしてあげてください。

agape,
Shun Uchimura

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